エドワード・ロウ

(バッド・ロウ)
エドワード・ロウ エドワード・ロウ
  エドワード・ロウ Edward Low
カリブ海、大西洋 18世紀初頭 イギリスのウエストミンスター出身


 17世紀末〜18世紀初頭の30年ほどの間に、カリブ海や大西洋で数多くの悪名高き海賊が登場した。これを『海賊の黄金時代』と呼ぶ。

 エドワード・ロウも、その中の一人である。イングランドのウエストミンスターで生まれた。ロウは幼少のころから盗みや乱暴を繰り返していた。商船で働いたあと、アメリカのボストンで造船所に勤めたが暴力沙汰を起こして解雇された。その後、中米ホンジュラス湾での伐採事業につくが、やはりここでも上司と口論になった。この時、見物人を射殺して逃走したらしい。

「俺は人殺しだ!ならば黒旗(海賊旗)を作って全世界に宣戦布告してやる」と心に決めた。

 陸上で生きる場を得られなかったロウは、海に乗り出すのだった。海賊たちのたまり場・ケイマン諸島でロウは、悪名高い海賊のひとりであるジョージ・ラウザと出会った。すぐに息投合した2人はラウザを船長、ロウを副官にして海賊団を結成した。数多くの船を拿捕し、捕虜をなぶり殺しにした2人だったが1722年に決別した。ロウは40人近い仲間を連れて自分の海賊団を結成した。

 ここからロウの本領発揮だった。海賊としてのロウはかなり有能で、西インド諸島からニューファンドランド、大洋を横切ってアゾレス諸島、カナリア諸島、ヴェルデ岬までの広い海域にかけて海賊活動を繰り返した。黒字に赤で描いた髑髏の海賊旗を海で見つけた者は、それだけで恐怖に慄いたという。なぜならロウは襲撃回数よりも、その残虐さが群を抜いて際立っていたからだ。

 ここでロウの残虐さを示す話をいくつか紹介する。

『ロウと仲間たちは、ニューイングランドの捕鯨船を捕まえ、その船長の耳を切り落とした。さらにその耳に塩と胡椒をふり本人に食べさせた』

『ホンデュラス湾でスペイン船を襲い乗員を皆殺しにした。命乞いするスペイン人の口の中に銃を突っ込んで発射した』

『捕虜のくちびるを切り取り、それを目の前でフライにした』


 しかし彼は小心者で、ボストンで捨てた息子のことを思いだしては涙を流した。カトラスの扱いにかけては並外れた腕前の持ち主だった。

 ロウは自分の機嫌が悪いと草を刈るような気楽な感覚で捕虜の首をはねた。また機嫌がいいときも同様の気楽さで首をはねた。ロウにとって捕虜を殺すことは暇つぶしでしかなかったのだ。ロウは海賊という人の姿をした死神以外の何者でもなかったのだ。

 しかし、こんなロウの所業が部下たちの心を遠ざけてしまった。残虐な拷問を見続けてきた部下たちは怒って謀反を起し、ロウを小船に乗せて海上に置き去りにした。その後、ロウはフランス軍に捕らえられて絞首刑になったとも、生き延びて他の町で暮らしたとも言われているが真相は定かではない。







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